Oppenheimer (2023) : オッペンハイマー

原子爆弾の開発に成功し、「原爆の父」と呼ばれた物理学者ロバート・オッペンハイマーの知られざる人生を描いた歴史ドラマ。監督はクリストファー・ノーラン、キリアン・マーフィーがオッペンハイマー、エミリー・ブラントが妻のキティ・オッペンハイマー、そしてロバート・ダウニー・Jr.がアメリカ原子力委員会の委員長ルイス・ストローズを演じる。

監督:クリストファー・ノーラン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、ロバート・ダウニー・Jr.、マット・デイモン、ケネス・ブラナー、ラミ・マレック、ジョシュ・ハートネット、フローレンス

オッペンハイマー (2023)のあらすじ

第二次世界大戦下のアメリカ。極秘に立ち上げられたプロジェクト“マンハッタン計画”に参加したJ・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は、優秀な科学者たちを率いて世界初の原子爆弾を開発する。しかし、原爆が実戦で投下され、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩する。その後、冷戦や赤狩りなど、激動の時代の波に飲み込まれていく……。

オッペンハイマー (2023)のストーリー

1954年、J・ロバート・オッペンハイマーはスパイ容疑をかけられ原子力委員会の聴聞会で共産主義者や他国の科学者との関係を追及されるなか、物理学者としての遍歴を語りはじめる(オッペンハイマー事件)。1959年、原子力委員会の委員長を務めた官僚ルイス・ストローズは大統領より商務長官に任命され上院で承認の公聴会に出席し、上院議員にオッペンハイマーとの関係を聞かれる。

1926年、ハーバード大学を首席で卒業したオッペンハイマーはイギリスのケンブリッジ大学に留学する。不得手な実験物理学や周囲に馴染めず孤立を深める環境からホームシックに陥っていたところ、私淑するニールス・ボーアと出会い、彼からドイツのゲッティンゲン大学で学ぶよう助言され移籍を決意する。ゲッティンゲン大学ではヴェルナー・ハイゼンベルクの影響から理論物理学の道を歩み始める。

1929年に博士号を取得してアメリカに戻り、カリフォルニア大学バークレー校で助教授となった彼は、理論物理学をアメリカ国内に浸透させるべく教鞭をとる日々を送っていた。1936年、スペイン内戦が勃発した。国際的な共産主義の高まりからオッペンハイマーは弟フランクに誘われてアメリカ合衆国共産党の集会に出入りし、大学内での組合活動など周囲の影響から熱心に左翼活動を行っていた。1938年、ナチス・ドイツで核分裂が発見される。当初オッペンハイマーは核分裂を否定したが、大学の同僚アーネスト・ローレンスが開発したサイクロトロンで実際に核分裂反応を目の当たりにした彼はそれを応用した原子爆弾実現の可能性を感じていた。実際にドイツはアメリカより原爆開発の分野で先行しており、特にハイゼンベルクの存在もあって時間の問題と考えていた。

1939年、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。大戦が中盤に差し掛かった1942年10月、オッペンハイマーはアメリカ軍のレズリー・グローヴス大佐から呼び出しを受ける。ドイツの破竹の勢いに焦りを感じたグローヴスは原爆を開発・製造するための極秘プロジェクト「マンハッタン計画」を立ち上げ、優秀な科学者と聞きつけたオッペンハイマーを原爆開発チームのリーダーに抜擢した。オッペンハイマーはグローヴスにドイツの原爆開発はアメリカより1年以上先行しており、このままでは間違いなくドイツが先に原爆を開発すると力説してリーダー就任を承諾した。ユダヤ人でもある彼は何としてもナチス・ドイツより先に原爆を完成させる必要があった。1943年、オッペンハイマーは弟フランクが牧場を営む自身の思い出の地ニューメキシコ州にロスアラモス国立研究所を設立して所長に就任。全米各地の優秀な科学者やヨーロッパから亡命してきたユダヤ人科学者たちを熱心にスカウトして、その家族数千人と共にロスアラモスに移住させて本格的な原爆開発に着手する。周囲を有刺鉄線で囲まれ敷地内から一切出ることを許されない科学者たちはオッペンハイマーに不満を伝えるが、彼はリーダーシップを発揮して精力的に開発を主導、様々な課題をクリアして着実に成果を積み上げていく。同僚たちの中では重水素を使った核融合反応で更に強力な水爆開発を主張するエドワード・テラーの反抗など科学者同士の軋轢やオッペンハイマー自身の過去の左翼活動を防諜部に尋問されるなど今後の人生を予感させる出来事も起きていた。

1945年5月8日に当初目標としていたナチス・ドイツが降伏、科学者たちの中で原爆開発の継続を疑問視する声が沸き起こる。オッペンハイマーはその声を一蹴して未だ戦い続ける日本に投下して戦争を終わらせると断言。原爆開発を継続させるが、投下目標を定める会議でヘンリー・スティムソン陸軍長官に原爆投下への賛否両論がある事を伝えている。1945年7月16日、オッペンハイマーたち開発チームが多大な労力を費やした研究は遂に実を結び、人類史上初の核実験「トリニティ」を成功させた。原爆の凄まじい威力を目の当たりにして実験成功を喜ぶ科学者や軍関係者たちを見たオッペンハイマーは成功に安堵する反面、こう呟く「我は死なり、世界の破壊者なり」。原爆完成を受けたグローヴスから今後の研究は軍が引き継ぐので完成済みの原爆を出荷するよう指示され、研究所から運び出される原爆をオッペンハイマーは複雑な面持ちで見送る。ついに8月6日、広島へ原爆が投下される。原爆投下の連絡を待っていたオッペンハイマーはハリー・S・トルーマン大統領の演説を聞いて原爆投下成功の報を知った。8月15日、日本が無条件降伏して第二次世界大戦は終結した。所内で開かれた戦勝祝賀会で演説していた彼の目に原爆の熱線で皮膚が剥がれ落ちる様、炭の塊と化した遺体や泣き叫び苦しむ人々を幻視する。周囲の熱狂とは裏腹に彼の中に罪悪感が芽生え始めた瞬間だった。

戦後オッペンハイマーは原爆の父と呼ばれ、多くのアメリカ兵を救った英雄として賞賛されることに困惑、既に戦力を失って降伏間近だった日本への原爆投下によって多くの犠牲者が出た事実を知って深く苦悩していた。1949年、太平洋上で偵察機が放射線を検出、事前の予想より早くソ連が原爆開発に成功した事の証左だった。衝撃を受けたアメリカは水爆など核兵器の推進が盛んに議論される事態となった。当時、アメリカ原子力委員会の顧問だったオッペンハイマーはソ連との核開発競争を危惧して水爆開発に反対する。オッペンハイマーは自身の国民的な人気を利用して政治的な運動を展開しており、各所で煙たがられる存在となりつつあった。トルーマンに直接会談を申し入れ、核兵器がもたらす甚大な被害を憂慮して国際的な核兵器管理機関の創設と水爆開発の縮小を提案した。彼はその席上、トルーマンに「私の手は血塗られたように感じる」と伝えたが、トルーマンはハンカチを差し出して「恨まれるのは(原爆を)落とした私の方だ」と答えて会談は終了した。そんなオッペンハイマーの姿勢を弱腰と決めつけたトルーマンは激怒、彼の提案が採用されることはなかった。その行動から水爆推進派の科学者や政治家との対立を深めている事に目を付けたストローズは過去に自身が受けた恨みを晴らすためオッペンハイマーを失脚させるべく暗躍、オッペンハイマーの人生はそれを境に暗転してゆく。

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